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双鷺洲 (Sōroshū) — Section 10-1

Verbatim JA transcription of an archival/historical compendium (Edo-period cadastral & census records, temple/shrine & school history). Classical Japanese with transcription artifacts; NOT yet translated; quotes deeper primaries (三原市史, 須波村 survey docs). Native/historian review required.

p.202

昭和16年4月からは鷺国民学校と改称され、初等科・高等科併置の国民学校であったが、昭和22年4月からは、再び鷺小学校となり、高等科児童は新制中学校に移ることになった。

昭和28年1月の児童数は、10名(男1名、女4名)で小佐木島からの通学生は32名であった。

平成7年(1995) 3月25日、鷺幼・小学校を閉校し、島内校が統合して、鷺浦小学校・幼稚園として元鷺小学校の施設を利用して開校した。

p. 203

三原市立鷺小学校 校歌

104 mp

作詞 全職員

作曲 田治幸信

  1. たいへいざんーの みー ど ー り こくあさー なゆ う なに あおぎみて

なかむ つーまじくほがーらかに

ほ まれも た か いま なび や で てをとるわれーたさぎのこーよ

鷺小学校校歌

明治9年(1876)、開成舎は

け教場として創設された。 写真は、 (明治43年の安

作曲田治幸信

作詞鷺小学校全職員

一、太平山の みどりこく

朝な夕なにあおぎみて

なかむつまじくほがらかに

ほまれも高い学びやで

手をとるわれらさぎの子よ

二、なべが岬のとうだいは

輝くひかりとこしえに

ただひとすじにたゆみなく

学びのみちにまこともて

努めるわれら さぎの子よ

三、柄鎌の瀬戸の うずしおは

意気高らかに 波を呼ぶ

心 雄々しくたくましく

未来をもとめ すこやかに

はばたくわれらさぎの子よ

安楽寺

明治41年(1908)

尋常科が第五学年となり、手工科が置かれた。

明治42年(1909)

実業補習学校が小学校に併設された。

明治44年(1908)

四学級となった。

北校舎・南校舎を建てた。物置一棟、便所一棟、教員住宅一 設置。北門に石の柱を立てた。

石門及ビ扉を青年団ガ寄贈シタ。ソノ代価八、八拾円、労力ハ以外トス。

大正6年(1917)

南校舎一教室増築する。5学級編成。

大正9年(1920)

南校舎の向きを変え運動場を広げた。

昭和5年(1930)

二階建ての木造校舎を建てた。

ヒマラヤシーダーを植えた。

p. 205

昭和15年(1940)

牛舎、堆肥舎、農具室、銃器庫を建設した。

中校舎屋根にサイレンを設置した。

昭和16年(1941)

広島県豊田郡鷺国民学校と校名変更した。

昭和21年(1946)

ヒマラヤシーダーと松の木が傾斜した。196人

昭和22年(1947)

鷺小学校と改称した。

昭和23年(1948)

鷺浦中学校校舎が落成し、移転した。

昭和26年(1951)

講堂を改築した。

昭和31年(1956)

三原市立鷺小学校となった。

昭和40年(1965)

三区に幼児園開園。

昭和41年(1966)

新しい鷺小学校校旗完成する。新校歌制定した。

昭和42年(1967)

鉄筋二階建校舎落成、並びに創立90周年記念式典を挙行。 小佐木通学船の進水式が挙行された。

昭和43年(1968)

明治百年記念、二宮金次郎像庭石、築工。

昭和48年(1973)

4月12日より、学校給食開始した。

小佐木通学渡船待合所完成した。

昭和45年(1974)

鷺浦中学校が開校し、本校 4教室を中学校が使用した。

鷺幼児園三原市に移管となり、三原市立鷺幼稚園となった。

西校舎並びに宿直棟竣工式挙行。

屋内運動場竣工式挙行。屋内運動場周囲に植樹。

昭和56年(1981)

昭和58年(1983)

昭和59年(1984) 昭和63年(1988)

陸橋わたり初め式を挙行した。

須ノ上幼稚園を休園にして鷺幼稚園に吸収。

平成4年(1992)

新入生がなく入学式が行われず。

平成6年(1994)

園児 9人。児童15人。

平成7年(1995)

3月25日、鷺幼小学校、閉校式を行った。

|校が閉校し、鷺浦小学校・幼稚園として元鷺小学校の施設を利用して開校した。

  • 205-

PASAU|24||||0

石工岩子嶋住岡元清一郎

寺山から見た鷺小学校 二階建て校舎は、 (昭和5年(1930)) 建設

南校舎 この南校舎は、 明治44年に建てられた。 大正6年に一教室増築され、大正 9年(1920)、 運動場を拡張するために校舎の向きが変えられ、 写真の位置 の向きになった。

※南校舎は、新制中学が出来た (昭和 22 年) 当時、中学校舎が建設されるまで、下の

青年会館と共に、 1年生、2年生の教室として使用された。

開成舍開設

安楽寺に建つ「宝経塔」は、文久 子中とあることから、「宝経塔」は、 て建立されていることが分かる。

「開成舎」 (明治9年) が、 安楽寺 た忍鎧和尚によって、 寺子屋が引き

北校舎 (中校舎) 二階建て木造校舎

北校舎は、明治44年に南校舎と同年に建てられている。 左端の二階建て木造校舎は、昭和5年(1930) に建設。

昭和 56 年、三階建て校舎新築。

昭和42年、二階建て校舎落成。

  • 207 -

明治44年(1911) 北校舎 (向 写真は、明治44年に作られた 写真では、 北校舎と南校舎が平

校歌

一太平の頂き高く

重固資雄 作詞

山晴れてかがやく空に

この希望 この希望

清く溢れて

ここに湧く 生命は若し

倚よいぎ 学びの窓に ありあわれらの学舎

二瀬戸海の流れに映えて

陽は躍る 双鷲の島に

この理想 この理想

高くして

ここに持つ力は強し

起てよいざ学びの庭に 誇りあ われらの母校

三産土のみどりに明けて

いま戻く祖先の里に

この共栄 この共栄 固く桀きて

ここに負う責務は重し 付けよいざ学びの道に ありあわれらの使命

作曲

M.M=104

力強く明朗に

mf

重贇雄詩 古関裕而曲

詩曲

たいへいのいただきたかく

m f

m

やまはれてかがやくそらにその

OSE......

mf のぞみこののぞみきよくあふれてこと

にわくいのちはわかしーよれよ

mf

ざまなびのまどに

ひかりーあー

→ >>

5

われらのがくしゃ

三原市立跨洲中学

学校

  • 209-

性によるものであったとれてし

初代校長 白須憲造

生徒数

三年

5名

鷺浦中学校 仮校舎

鷺浦中学校 仮校舎