双鷺洲 (Sōroshū) — Section 9-2¶
Verbatim JA transcription of an archival/historical compendium (Edo-period cadastral & census records, temple/shrine & school history). Classical Japanese with transcription artifacts; NOT yet translated; quotes deeper primaries (三原市史, 須波村 survey docs). Native/historian review required.
29.
八幡神社 御弓神事
三原市無形民俗文化財(指定 平成20年)
寄進
平成七年二月吉日
六子英代一同
一或二十五年的造
E
矢次郎
宇成二十五年初析分
頭屋第二振將区
八幡神社
御 弓 神 事
(関連)
三原城の遺構 (いずれも三原市重要文化財)
当寺第九世現務忍鎧欽記
三原城内 侍屋敷の門 移築
糸碕神社神門 順勝寺山門 安楽寺山門 極楽寺山門
明治8年(1875) 明治10年(1877) 明治10年(1877) 明治11年(1878)
三原城内 御作事奉行所の門 移築 三原城内 御成御門 移築 新高山城の裏門 移築
御弓神事は、八幡神社の初祈祷の中の行事として、例年2月11日 (以前は1月11日)に行われていた。
御弓神事は、拝殿にて初祈祷が行われた後、境内に設置された的に 向って弓を放ち、その年の幸せを祈願する神事として行われている。 前もって、当屋 (その年の一年間の神事の主担当)によって、その年の 暦でいう恵方の裏の方向に設置された大的・小的に、竹で作った弓矢 を、宮司、総代、世話役、当屋の順に放ち、その年の魔を打ち払い、家内 安全・無病息災・五穀豊穣など地域の繁栄や人々の幸せが祈願されて いる。
島内の神社では、現在、八幡神社のみ、御弓神事が行われている。 弓を射るということは、元々武士がすることであり、農民が弓を射 るということはあまり無かったのではないかと思われる。 そうだとすると、向田に古くから住む、武士であった土居家の先祖 が、武士であることの気構えや外敵に対していつでも対処できるよう 武術を忘れず、気持ちを新にするとともに、一族の安泰と繁栄を願っ た年のはじめの神事として行ったのが、向田八幡神社での御弓神事の 始まりであったのではないかと思われる。
八幡神社には、矢竹も生えている。竹類は一般的に自然に生えるも のではなく、植えられたものであると云われている。八幡神社が、いざ と云うときの砦として、土居家の先祖によって植えられたものであろ うと推測する。
平成20年、三原市無形民俗文化財に指定された。
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転し、増新築した。
昭和16年向田国民学校と改称され、内容上、制度上にい ろいろな変遷を経て、昭和22年4月から向田小学校となっ た。
平成7年(1995) 島内三校の小学校・幼稚園ともに少子 化が進み、閉校・閉園し、鷺浦小学校・幼稚園として、元鷺小 学校の施設を利用して、鷺浦小学校・鷺浦幼稚園が開校(園)
した。
作作
重圍贇雄 作詞
浜本正孝 作曲
三原市立向田小学校校歌
20位
この
ども
しみ
お
さあ
ちこ
とま
せや
かべ
12
みね
み
のの
かき
に
きま
はは
てしなくちか
ぶ
おおぞら けしおかぜ
のむね
あふれるいのち
まど
はばたくのぞみ
なだ
ます
うう
おおき
V
ここ
われ
わがぼ
ふつ
向田小学校校歌
〇三
重園賛雄
作曲 浜本正孝
一、光る 瀬戸内 鷺島の 沖にかがやく 虹の波 しぶけ潮風 この胸に あふれる生命はつらつと 心明るくきょうもまた 学ぶわれらのわが母校 二、呼べば 山彦 大平の 山にわきくる雲の峰 あおげ 大空 この窓に はばたく希望 はてしなく 力おおしく あのあすへ 巣立つ われらのわが母校
三、守る ふるさと 亀山の 丘にゆかしき里の宮 たたえ 向田 この庭に つきせぬ歴史うけついで 汗のよろこび あたらしく 伸びるわれらのわが母校
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校舎が増改築され、 校名も変わ
明治25年(1896)
教室一棟が増築された。(工費、350円)
3学級
明治32年(1899)
三年生以上の女子に裁縫科(今の家庭科の一部)を教えるようになった。
...............
2学級
明治35年(1902)
経費節減の結果、補習科を廃し本科を一学級増やした。
明治44年(1908)
小学校改正の結果、第五学年を置き、各学年に手工科を教えるようになった。
........
2学級(児童数 112名)
明治42年(1909)
第六学年を置き、三学級編制となった。
3学級(児童数 137名)
明治43年(1910)
本校に実業補修学校を附設した。
明治44年(1911)
第三代、西原八郎村長の時、校舎を現在の場所に増新築し、旧校舎を移転した。併せて 教員住宅二棟が建てられた。(総工費、6500円)
3学級(児童数 133名)
明治45年(1912)
本校、第一回運動会が行われた。
3 学級(児童数 144名)
第四学級編成となった。
..................
4 学級(児童数 146名)
大正13年(1924) 昭和8年(1933) 昭和9年(1934) 昭和11年(1936) 昭和16年(1941) 昭和20年(1945) 昭和22年(1947) 昭和30年(1955) 昭和31年(1956) 昭和34年(1959) 昭和39年(1964)
第五学級編成となった。運動場がひろげられた。(五〇坪=約165) 東側中央にあった正門が南側に移された。
5 学級(児童数 192名)
5 学級(児童数 182名)
七代小谷力松村長の時、旧木造校舎に建て替えられた。(工費、12000円)
5 学級(児童数 173名)
「豊田郡向田国民学校」校名が変わった。
六学級編成となり、はじめて複式がなくなった。
5 学級(児童数 177名)
6 学級(児童数 214 名)
「豊田郡鷺浦村立向田小学校」と校名が変わった。
6 学級(児童数 206名)
運動場拡張工事に伴い正門位置を変えた。
6 学級(児童数 190 名)
鷺浦村が三原市に合併され「三原市立向田小学校」と校名が変わった。 二教室を増築する。(現在の理科室とその二階)
6 学級(児童数 185名)
6 学級(児童数 192名)
創立九十周年を記念して校歌が制定され、
6 学級(児童数 144名)
篤志寄贈者 総合遊具
松井康浩(東京)
考える人の像 電気オルガン 各教室照明施設 万国旗
岡田文人 (大阪) 谷本大吉(神戸) 西原滋也(瀬戸田) 船附作(向田)
昭和45年(1970)
五学級編成となり、複式学級ができた。
...
5 学級(児童数 82名)
4 学級(児童数 65名)
昭和47年(1972) 昭和48年(1973) 昭和45年(1974) 昭和54年(1979) 昭和57年(1982)
昭和60年(1987)
平成7年(1995)
次第に過疎現象が強まり、四学級編成となった。
鷺浦学校給食調理場が開設され、学校給食が始った。
創立百周年記念大運動会を行った。
屋内運動場竣工式挙行。
小学校校舎・幼稚園園舎竣工式挙行
(総工費、33, 430,000円鉄筋コンクリート三階建、延面積、1,193) プール竣工式挙行。(総工費、20,855,000円、25m 3コース) 120 余年の歴史にピリオドをうち閉校式及び記念事業を行う。
4 学級(児童数 56名)
4 学級(児童数 51名)
(児童数 39名)
(児童数 34 名)
(児童数 42名)
(児童数 20名)
....
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児童数 173名
工費 12,000 円 5学級
二階建て木造校舎。
昭和11年に建て替えられた
校學小常田白
明治44年(1911)
此の代価合計金拾参円。 同44年5月22日向田小学校落成式に当り大いに盡力盛大ならしむ。 同44年4月24日向田尋常小学校敷地に遊動器具を寄贈設備す。 改築をなし会員総出動にて奮励成就しむ。人夫人(延員)。
ため会員一同出務。 明治44年3月22日向田尋常小学校移転新築に付き之が敷地堅めの
同44年4月1日より三日間、向田学校教員住宅移転
昭和 29 向田小学校 80 周年記念運動会
ユーカリの大木
昭和11年 向田小学校 落成式
向田小学校玄関左側に立つユーカリの大木は、明治44年、向田尋常小学校が建設 される以前に、この地にあった庄屋西原邸の庭に植えられていたもので、学校のシン ボルとなり、子どもたちの生活や地域を見守ってきた。 昭和 29 年、台風によって倒さ れ姿をけした。
14 年増築
54年、屋内運動場
昭和34年(1959)、 校舎に続けて、 左側に、 2教室が増築された。 昭和54年(1979)、 屋内運動場ができた。 (左端の丸い屋根)
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