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双鷺洲 (Sōroshū) — Section 12

Verbatim JA transcription of an archival/historical compendium (Edo-period cadastral & census records, temple/shrine & school history). Classical Japanese with transcription artifacts; NOT yet translated; quotes deeper primaries (三原市史, 須波村 survey docs). Native/historian review required.

p.264

39.

1塩田

製塩は、中世までは至る所の海浜で揚げ浜式製塩で行われていたが、江戸時代にはいり入浜式製塩法が導入され、大規模な製塩がされるように なった。しかし、昭和28年頃から流下式製塩法(枝条架式)に改良され、さらに生産コストの安いイオン交換膜法に切り替えられた。

製塩の合理化が進む中で、昭和46年(1971)、鷺浦の塩田はなくなった。

ア、揚げ浜式塩田

揚げ浜式塩田は、満潮面より高い海浜の砂上に海水をまいて天日により水分を蒸発させ塩をとるやり方で規模が小さく簡単に出来ていた。

イ、入浜式塩田

入浜式塩田は、地盤の浸透作用を利用して、砂浜に海水をまき、砂の表面に塩を結晶させ、それをもとに濃縮した塩水(かん水)をつくった。 塩1トン相当のかん水をつくるために、砂、海水の量は1000トンが必要で大変な重労働であったといわれている。

また、入浜時代、浜子は浜曳き、その他で陌当り1日26kmを歩いたとも言われている。

ウ、流下式塩田(枝条架式)

流下式(枝条架) 塩田は、竹の枝をつるして、その上から海水をたらして塩水を濃縮する方法で、濃縮した塩水は、入浜式では1陌当り1000ト ンであったが、流下式では000トンとれ、労働者は、入浜式が1陌当り5人が必要であったが、流下式では1人になったと云われている。

エ、イオン交換模法

製塩方は、さらに改良され、生産コストの安いイオン交換膜法に切り替えられた。

p.265

2 年表(佐木島の塩田)

慶長6年(1601)

この頃、佐木では300戸近くが塩田を持っていたとされている。

一戸の塩田が5畝以内の塩田で、揚げ浜式塩田であったと思われる。

明暦2年(1656)

向田に小浜・元〆浜ができた。

天和3年(1683)

向田浦沖 浜主御調郡中庄 彦右衛門

一中々浜畝高七反也 分米八石壳斗

天和三亥年二出来、宝永二酉年迄

年数二十三年二相成申候

同所 同 同人

一下中浜畝高六反七畝 分米五石八斗三升

右同断

向田野浦沖 同 兼之助

― 一中々浜畝高七反也 分米八石壳斗

天和三亥年二出来、宝永二酉年迄

年数二十三年二相成申候

「豊田郡瀬戸田町ノ塩浜年代書上」(宝永二年・一七〇五)による。

正徳 3 年(1713)

向田に潰浜ができた。

文化11年(1814)

塩浜跡 壱ケ所 佐木島沖浜

但いつ頃築、いつ頃ヨリ畑二相成申儀相知不申候 (文化11年国郡志編集御用諸品書出)

天保5年(1834)

向田に西原庄蔵によって扇浜塩田20町歩が完成した。

天保9年に完成したとする記載もある。

明治5年(1872)

三原の勝馬宗兵衛によって佐木に塩田ができた。

p.266

明治 21 年 (1888)

佐木島の塩田

鷺島浜 一町八反二畝二七歩 (塩戸数一戸)。

向田野浦浜他 二三町二反二畝 八歩 (塩戸数八戸)。

明治 22 年 (1889)

須の上に、山下精八郎によって南浜、北浜が造られた。

明治 34 年 (1901)

三原の勝馬宗兵衛によって開かれた佐木の塩田が小佐木の吉村勘次郎の所有となった。小佐木浜と呼ばれた。

明治 37 年 (1904)

明治37年~8年にかけて、小佐木の吉村藤三郎が佐木に塩田を開いた。

明治40年頃の塩田の面積と所有者

向田野浦

一番浜 2, 0004(町) 浅野長勲(東京)

二番浜 1, 7427 宮地勲一郎(瀬戸田)

三番浜 1, 7927 浅野長勲(東京)

四番浜 1, 9203 得能孫一郎(瀬戸田)

五番浜 1,9000 浅野長勲(東京)

六番浜 1, 1807 西原八郎

七番浜 1, 5210 橋岡福右衛門(原)

元〆浜 2, 0110 堀内長右衛門(瀬戸田)

北浜 1, 9409 堀内長右衛門(瀬戸田)

須ノ上

南浜1,6713 山下精八郎

北浜1, 6912 山下精八郎

佐木

小佐木浜 1, 8227 吉村勘次郎

新浜 1,5601 吉村藤三郎

p.267

昭和 30 年代の塩田の面積上所有者

大正8年 (1919) 吉村(勘次郎)・吉村(藤三郎)の所有する佐木の塩田が重井の柏原重兵衛に移った。

昭和 29 年 (1954) この頃から流下式製塩法(枝条架式)に改良され、さらに、生産コストの安いイオン交換膜法に切り替えられた。

向田野浦

一番浜 2, 0004(町) 小谷貫一

二番浜 1, 7427 西原通夫

三番浜 1, 7927 田中義忠

四番浜 1, 9203 得能氏(瀬戸田)

五番浜 1,9000 西原通夫

六番浜1, 1807 西原通夫

七番浜 1, 5210 橋岡氏(原)

元〆浜 2, 0110 西口源

北浜1, 9409 堀内氏(瀬戸田)

須ノ上

南浜1.6713 山下篤吉

北浜1, 6912 山下篤吉

佐 木

小佐木浜 1, 8227 柏原重兵衛(重井)

新浜 1, 5601 柏原重兵衛(重井)

昭和 46 年(1971) 製塩の合理化により鷺浦の塩田はなくなった。

p.268

入浜式塩田

扇浜塩田

流下式塩田(枝条架式)

p.269

参考文献、資料提供者(敬称略)

芸藩通志 豊田郡誌 三原市史 豊田郡史年表

鷺浦村郷土誌

三原志稿 「郷土史」永久不可止 「安楽寺」・「安楽寺乃由来」白須俊三 藤井家文書「佐木島古事備忘録」新畑末男 「佐木島の歴史と伝承」新谷英雄 広島県地名大辞典 「因島地方一万年史」 中島忠由 「芸豫叢島史」松岡 進 「農漁村探訪録」 宮本常一「さぎしまの調査・蒐集資料」 山下 昭 「さぎしま」 さぎしまふるさと館 広島県塩業史「広島県三原市磨崖和霊石地蔵」 福井万千 菅茶山記念館 須ノ上小(幼)学校閉校記念誌 鷺(幼)小学校閉校記念誌

向田(幼)小学校閉校記念誌 鷺浦中学校創立五十周年記念誌 さぎしまの年表 「佐木島とスポーツ」白須俊三 「さぎしまの写真」 西原通夫

上野清文

岡田隆吉

岡本正穂

塩本芳夫

土森宏光

西原美智子

藤木好弘

森前敦子

吉村良雄

山本宣善

p.272

あとがき

鷺浦の歴史を著するにあたり、多くの方々から多大のお力添えを頂きました。まずもって厚くお礼申し上げます。

「郷土史は、先人が願いをもち、辛苦して歩んだ足跡であり、私たちの財産です。」

本誌の内容の充実を図り、私たちの生活の拠り所となるものにしたいと願い、先人の足跡が少しでも汲み取れるようにと思いながら、取り組ん できましたが、先人の足跡は、膨大なもので、一つの足跡(史料)には、他の足跡(史料)と多くの関わりがあり、考えれば考える程、その深さが感じら れました。

また、史料には、断片的な記述も多く、年月が流れる中で判断のできないものや同じ内容の史料でも出典により記述が異なったり、辻褄の合わな いものもあり、思考錯誤の中で一歩進んでは立ち止まる取り組みとなり、調べることに時間が掛かったものの成果は上がらずの状態となりました。 特に、残念に思っていることは、多くの方から、種々情報をいただく中で、「このような先人の生活や辛苦は、時の流れとともに忘れ去られ、語られ ることもなくなるのでしょうね。後世に伝えたいものです。」と呟かれていたことに応えられない編集となったことです。

当初の思いとは異なる中途半端な表面的な捉えしか出来なかったことが心に残っています。

充分な内容には程遠いものになりましたが、先に発行した、「さぎしま散策」、「さぎしま讃歌」についても訂正や加筆をし、また、一部、再度本誌 に掲載し、郷土史の充実になるよう編集に努めました。

「さぎしま散策」、「さぎしま讃歌」も合わせてご覧頂き、本誌がキッカケとなり、皆様によって、鷺浦の歴史(先人の足跡)が深められ、郷土への想 いが倍加されることを願っています。

p.273

著者略歴

昭和31ー平成3年 三原市内小学校五校と県教委(社会教育主事)、市教委(指導主事)に勤務。

平成3ー8年 三原市立木原小学校長。

平成8-12年 三原市生涯学習相談員として、佐木島開発総合センターに勤務。 平成1-200年 広島家庭裁判所 家事調停委員並びに参与員を兼務。尾道支部所属。 平成12年 「さぎしま郷土史研究会」を発足、講座を開催。

向田小学校百周年記念事業として「郷土資料館」(室)を企画。 (昭和60年)

県教委派遣社会教育主事として三原市教育委員会に勤務。(昭和5-66年) コミュニティ学級では、温かい心でつなぐ町づくりをテーマに

八幡町の歴史の学習や県無形民俗文化財「御調八幡宮花のおどり」への参加。

西野町の梅林地域の復活を目指して「梅の植樹活動」を実施。

尾道教育事務所勤務、四市三郡の文化財保護に関わった。(昭和58-98年)

鷺浦町コミュニティ学級の冊子「さぎしま」を編集。(平成3年)

木原小学校では、前任者の後を継ぎ、地域の協力を頂き、市無形民俗文化財「木原町太鼓踊り」を 教育に位置づけ、保存・継承活動に努めた。

佐木島開発総合センターでは(平成8-1212年)

広報紙「双鷺洲」の発行にあたって、『地域つくりは、人つくりである。人々の心の拠り所は、自分の 住んでいる所に「愛着」があり「ほこれる」ことであろう』と捉え、「双鷺洲」の二面に郷土の歴史を 載せ、地域への関心が深まることに努めた。

三原市サンシープラザで「佐木島・小佐木島は美しい自然と古跡豊かなロマンの里」をキャッチフ レーズに写真展を開催。(平成20年)

冊子「さぎしま散策」発行。(平成24年)

さぎしまの歴史

双鷺州

山下博巳

住所 三原市鷺浦町向田野浦 4347-3 発行 平成27年1月

印刷・製本 (株)呉精版印刷 住 所 呉市築地町5番4号 電 話 (0823)22|5011代

冊子「さぎしま讃歌」発行。(平成24年)