Skip to content

双鷺洲 (Sōroshū) — Section 8-2

Verbatim JA transcription of an archival/historical compendium (Edo-period cadastral & census records, temple/shrine & school history). Classical Japanese with transcription artifacts; NOT yet translated; quotes deeper primaries (三原市史, 須波村 survey docs). Native/historian review required.

南海の海賊討伐の勅命を受け、備後国、鞆津辺)まで来た頃 より船内疫病多発し、軍船を鷺の泊に入れ休養した時、広家 先祖の霊位と阿弥陀三尊を祀り、戦勝祈願したことに依り 起これる神社と言う。また、楽音寺蔵「安芸国神名帳」記載 の沼田郡四位十二前のうちの鷺慣明神とも考えられている。 当社は古くより小浦八幡宮の末社であったが、八幡宮創建以 前の鷺島第一の古社と言う。

賢日飲食

比呂神

फा त

比呂神社は、古くは「ひろ明神」と言われ、現在使われている「比呂神社」の「比呂」ではなく、

「広」の文字が使われ「広明神」と言われていた。

それは、広安友への敬慕の念が強かった地域の人々が、広安友が祈願した場所を明神として 社を設け、広安友の「広」の名を付け祀ったことによるものだと思われる。

文化11年(1814)の記録によれば、この頃、広大明神の御神体は、千手観音であった。

比呂神社は、佐木島第一の古社であるが、明治2年の太政官布告により、小浦八幡宮の末社 となった。

11明治45年の郷土資料

一祭神

社信境社

由祭

木徒内殿

緒神

無格社比呂神社

天津日子根命

創立年月日不詳

往古国廳祭社四位鷺樌明神と申傳 梁一間×桁一間半 百四十一坪

弍百七十六人

楠木一本目通一丈二尺廻≤

椋木一本目通一丈一尺廻り

官有地第一

六百年以上 六百年以上

当比呂社八勧請年月日不詳往古国廳祭社四位鷺樌明神と申傳フ尚本郡南方村楽音寺古神 明帳二モ明ナリ(官社神明帖安芸国官社一百八十社四位十五社ノ内)尚神功皇后御西征ノ時 鷺ノ群ヲ御覧ナリシ鷺島トノタマヒシヨリ此名ヲ唱フルトアリ是二依り見シハ本社ガ鷺慣明

二〇五戸

明治44年頃の比呂神社

-163-

(広島県神社名鑑)

拝殿再建

明治 20 年 (1887) 昭和 13 年 (1938) 平成2年(1990)

狛犬一对寄進 神社再建

にある楠木を伐採して船を新造し、明神 丸と命名して就航させたが、出航のたび ごとに海が荒れて、明神丸は沈没してし

その伐根から萌芽生長したものが本樹

西原種樹

御畑正德

区長代理

引地 正

(日本巨樹名木大事典)

会計

山中代吉、西原義和

西原武宜、白須俊吉、岡本弘一、藤井義隆

25 荒 神 社(穀津神社)

荒 神社 (穀津神社)

三原市鷺浦町須波字小佐木

例祭

祭神

祭 神 須佐之男命(寸WSBSDIJU)

十月中旬 (旧例祭日九月二十八日)

本殿

一間社流造、銅板葺(間口三尺二寸、奥行二尺七寸) 明治二十五年再建

荒神社

出生

付属社殿 幣殿(一坪)拝殿(五坪)、神輿舎、手水舎、鳥居一基

境内地

二五一坪

摂末社

境外社

三島社(大山津見命。)

生目社(宮崎県生目八幡宮の神)、

地神三社

金刀比羅社(祭神 大物主命) 鷺側の灯台の麓

慶長年間(一五九六—一六一五)の創祀七言今。

本殿体、明治の名工、安部信吉の作飞书。

二二戸

(広島県神社名鑑)

  • 165-

荒神社

森村村村

現在の神社名

昭和 25 年

昭和15年

昭和15年

宝永4年

小佐木の神社は、当初「三宝荒神社」として建立されている。

昭和15年の棟札には、「穀津神社」 と表され、 神社名が変更されていたが、昭和 25 年 の棟札には「荒神社」 と表されていた。 しかし、小佐木では、 最近まで、 「穀津神社」とし て祀られてきた。

現在、神社名は元の「荒神社」に戻されている。

三島社 (大山津見命)

明治13年、山と海を司る神とし て祀られた。

荒神社 本殿

明治25年、 本殿の再建は、 明治の名工、 須波の人 安部信吉によって造られた。

  • 167 -

生目社

三島社

末社

地神三社

境外社

宮崎県生目八幡宮の神(目の神)を明治26年に勧請している。 棟札によると、三島社(山と海を司る神)は、明治13年に建立されている。

金刀比羅社 (大物主命) 場所 (佐木側の灯台の麓)