双鷺洲 (Sōroshū) — Section 5-3¶
Verbatim JA transcription of an archival/historical compendium (Edo-period cadastral & census records, temple/shrine & school history). Classical Japanese with transcription artifacts; NOT yet translated; quotes deeper primaries (三原市史, 須波村 survey docs). Native/historian review required.
向田地域について
(
向田では、当時、向田の庄屋が大庄屋であったため、神仏分離令による神道への移行が積極的に行われた。 明治2年(1869) 明治維新に至り、政府より神式葬祭を許可せられるに依り、向田区は主として神葬祭となる。 維新前当神社別当太古八生口島澤村地蔵院ナルモ中途ニシテ本村大字須波安楽寺良応宥澄。 ★第一回葬祭は、瀬戸田の神官澤田楯斎主たり、以後は向田八幡神社社掌之を執行。
文政8年(1825) 芸藩通志の地図には、荒神社が記されているが、現在社は八幡神社にあり合祀されている。 ☆安政4年(1857) 向田八幡神社に寄進の狛犬の台座の文字が削られている。
☆その他、金刀比羅宮などが合祀されたものと思われる。
明治2年(1869)
八幡神社社地を広げ、拝殿を改築する。
明治4年(1871) 明治5年(1872)
向田八幡神社、西原與一郎の発起で新築。
祖霊社がつくられる。
ア祖霊社 (若宮社)
神葬祭となった向田では、先祖の霊を祀る施設として寺に代り、八幡神社に祖霊社を設け、神道による祭礼の場の確立が 図られた。
祖霊社は、若宮社に合祀された。
中央に物部天日鷲命(もののべあめのひわしのみこと)と武内宿弥命を祀り、左右に 氏子の先祖、戦死者、年々亡くなられた方々を10月11日に合祀して氏子の崇敬を集め ている。
空
祖霊社には、次の六祖(株)が祀られている。
土居御祖
山前
本田
御御
祖祖
明治5年(1872)
神殿両脇に灯篭2基寄進。
T
向田の六祖が祀られている祖霊社(若宮社)
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佐木地域について
佐木地域については、神仏分離令による神道替は見られないものの、今まで祀られていた御祭神が変わり、安楽寺に祀られていた荒神社は小浦 八幡宮に移り、明治4年発令の「郷社定則」により多くの神社が小浦八幡宮の相殿神となった。
小浦八幡宮は、宇佐八幡宮の御分霊を勧請したとされており創建当時の御祭神は次の三神であったと思われるが、
応神天皇
比咩大神
神功皇后
延宝9年(1681)頃の藤井家の文書によれば、小浦八幡宮の御祭神は阿弥陀三尊が祀られている。
左 観音菩薩
中 阿弥陀如来 右 勢至菩薩
現在の小浦八幡宮には、次の御祭神が祀られている。
須佐之男大神
宗像大神
八幡大神
事代主大神
相殿神
神仏分離令に伴う明治4年発令の「郷社定則」により、一村一氏神となり、社はなくなり、小浦八幡宮の相殿神として祀られた。 ◆荒神社(素蓋鳴尊) 明治2年、荒神社を安楽寺境内より移し合祀、後 相殿神として祀られる。
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神道を広めた
西原庄蔵の奥都城
〇〇家墓
仏式の墓「○○家之墓」が、
そのまま使われているもの。
仏式の
と刻し
須ノ上の祖霊社につい
神葬祭に替わったが、向田区の様な全戸が神葬祭への移行 ∪体在今寸、神社(八分)、寺-天理教(二分)分分九龙。
向田同様須ノ上にも恵美須神社に祖霊社が造られ、須ノ上に最初に定住した とされる四家の御祖が祀られている。
山根家
奥本家 山下家
平木家
ア、恵美須神社棟札に見られる安楽寺の関わり
慶応元年(1865) 蛭子社拝殿造常
別当遷宮導師安楽寺権大僧都良心上人
恵美須神社に祀られている祖霊
庄屋 西原與一郎 組頭山下助左衛門 長百姓 向屋政右衛門
慶応元年(1865)の惠美須神社棟札七 明治 28 年 (1895) の棟札在比代乙丑乙明 治 28 年の棟札体、寺の関与犬在VROUG乙。
花艺
一天平 筆 葉原賀雄
山下的
國家靜謐材
【十月七日 村長西原太郎治
陰曆八月
願主山下精八郎
奉造営蛭子社天下泰平太守尊君御武運長久村 鞏固諸作豊登祈
神主 従五位下西原摂津守源朝臣義綱
祝部 岩田伊勢守藤原秀昌
明治 28 年 (1895)惠美須神社造常
社掌 西原賀雄
議員 山下駒太郎 山本亀次郎 平木儀平
惠美須神社奉本殿葺脩一宇 成就社内安全 氏子盛生祈
村長 西原太郎治 世話人
願主 山下精八郎
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